アルバムことに進化を重ねた〈恐るべき子供たち〉の最終章。過激な挑戦を続け、数多生まれたギターバンドのなかでも飛び抜けて輝かしい軌跡を残したまま、4人の若者たちは最後のステージに立った。全21曲2時間のラスト走行。その道のりとは? また、次ページからは最初期からSUPERCARのA&Rとして密に関わり続けたキューンソニー富樫氏の貴重な証言も合わせて頂いた。見えにくいSUPERCARのアナザーストーリーを紐解いてみてほしい。
文/内田 暁男 開演前にTシャツを買おうと急ぎ足で〈studio coast〉に向かうと、入り口前にチケットを求める無数のファンの姿が。そのなかの一人の女の子がすでに泣きじゃくっていたのが印象的だった。 ステージ後ろのスクリーンに〈Thank you Supercar〉の文字がレーザービームで一筆書きされたあと、“White Surf style 5.”が終わりへ向けて走り出した。スマパン譲りのささくれだった激しいホワイトノイズのうえをまさしくサーフするような断片的メロディー。合唱するオーディエンスに応えるように、ギターのいしわたり淳治が〈White Surf style 5.〉とリップシングしている。突然泣きそうになった。しかし感傷的な気分はこのときが最後かもしれない。続く“FAIRWAY”でミキのコーラスが外れまくったとき、解散ライヴというどうしたって特殊な環境に置かれたメンバーの緊張感が伝わってきた。 “PLANET”“Love Forever”“RECREATION”と次々に淡々と演奏される、これまでのシングル曲を中心にしたセットリスト。新しくバンド・アレンジされた“WARNING BELL”が新鮮な風を吹かせたあとに演奏された“STROBOLIGHTS”で、リードを取るミキのヴォーカルがまたも詰まる。まるで故障だらけのまま走り出した車が、その欠損についに悲鳴を上げたかのようだ。どことなく異様な雰囲気のなか演奏する彼らの姿はどこまでも正直だった。そういう意味でこの日のステージにいた4人は本当に〈いつもとおり〉の4人のままだった。〈ボロボロだな〉なんて思いながらも、それがなんか嬉しかった。 シングル曲中心のなか中盤に演奏されたファースト・アルバム『スリーアウトチェンジ』収録曲“I need the sun”はなかなかライヴで演奏されないだけに、ちょっとしたサプライズ。叙情的なサビメロとユニゾンするようにうねるギターが壮大な雰囲気を形成している。やっぱ最初から並のギターバンドじゃないよ。“Seven Front”ではドラムンベースのリズムにジャンプとともに淳治のギターが斬り込む。この曲はまるでジェットコースターのようだ。両手を上げるオーディエンスの姿は、ちょうどジェットコースターが空中まで昇り落下する瞬間の風景。そしてジェットコースターは一瞬のうちに駆け抜ける。 デビュー曲“cream soda”から“Hello”“Free Your Soul”“STORYWRITER”と続いた後半の流れは一際激しい盛り上がりだった。〈あきらめだけは/夢から覚めても言わないよって/それだけさ〉という“cream soda”の最後の一節はこのラストライヴというシチュエーションにおいても変わらぬ強さで響く。そして本当の終曲もいつもとおり、定番の“TRIP SKY”。ジーザス&メリーチェインのように、轟音がハーシュノイズ化する曲の後半部分でナカコーはギターの弦を緩め始めてメチェクチャにしだし、今日のアンコールが行われないことを暗に示唆する。ダラリとなった弦の一本一本は、この日の、そしていままでの張り詰めた緊張感が解かれていく様のように見えた。マックスにされたヴォリュームのアンプから高音のフィードバックノイズの残響を残し、ナカコーは一礼をしてステージを後にする。それに続いてミキ、コーダイ、淳治がハケて行く。空っぽになったステージとフロアに満ちたキーンと鳴るアンプの音。呆然と立ち尽くすオーディエンス。このときの様子をSUPERCAR第5のメンバー(?)七尾旅人は自身のサイトにこう綴っている。〈スーパーカー。90年代の後半の、ポップミュージックにまつわる一つのミラクルを象徴した一台の車が、走行を止め、奇妙な音を立てている〉。 空中分解する手前で持続されたギリギリの緊張関係が支配するなか、SUPERCARの4人は最後までどこまでも誠実に、正直に、バンドを終わらせたのだ。 ──まずはSUPERCARとの最初の出会いを教えてください。 富樫:僕96年の5月ぐらいに会社に入ったんですけど、そのときは全然ギターバンドとかっていうモードじゃなくて。それこそADS(ASTEROID DESERT SONG)とか中原(昌也)君だったりのオルタネイティブなシーンやドラムンベースのパーティーにのめりこんでたり。あと小林(弘幸/現HOT-CHA/AREGISTA)が〈FREEFORM FREAKOUT〉てイベントやってたりしてた時期。で、SUPERCARって名前で青森のバンドがいるっていう話はちょっと聞いてて、ある日会社に戻ってきたら、なんか流れてて。「これ誰?」って聞いたら「SUPERCAR」て。「あ、これなんだ」と。2、3曲だったんですけど、とにかく良くて。そういうモードじゃない僕にもなんか響いたんですよね。そのとき僕某インディーズ雑誌で、新人バンドを取材して紹介するページを持ってて、SUPERCARいいかもなと思って、音もインディーズですら世間に出てないのに紹介して(笑)。取材した日は96年の夏で、渋谷のギガンティックで関係者何人かの前で演るっていう東京での初ライブみたいな日だった。ちゃんと会ったのはそのときが初めてですね。そのときは単にいち取材者として会った。で、話したらおもしろかったんですよ。青森っていうなんにもないとこなのに普通に会話が成り立つ感じで。〈あぁ、こういう感性の子いるんだなぁ、逆に東京じゃないからいるのかなぁ〉とか思ったんですけど。そんときに一言も喋んなかったのがミキちゃん(笑)。けっこう喋べんないて聞いてたナカコーとか淳治が普通に喋ってましたね。 ──そこから富樫さんがA&Rを担当するっていう経緯は? 富樫:そのときのディレクターのカナイ君から、いちばん押してくれるとこでやりたいっていうのがあって。で、dohbでできるかねぇ?てブレストやったときに、流れ的に僕が担当することになった(笑)。このバンドだったらdohbでやってもいいなって自分のなかでも見えた気がしたんで。その時点で曲は100曲ぐらいあって。それでも出し惜しみされてる感じっていうか。それ聴いてたら……いままでSUPERCARがやってきた音楽の変遷がいろいろあると思うんですけど、その時点でそれが見えてたっていうか。〈こんなこともできるし、あんなこともできる〉みたいな。で、多い時は一週間に一回くらいは青森に行く日々になって。(青森は)もうなんにもないですよ(笑)。飛行機も3便ぐらいしかないんで、乗り遅れると5時間後とかいうレベルですから。だからホントにそれまで青森でメンバーはヒマだったんだと思うんですよ(笑)。SUPERCARはヒマがいろんなものを作り出してきたバンドっていうか。最初はプロモキット用の音をまず上げようってなったんだけど、媒体向けに豪華なプレスキットを作って配って聴かせたのが97年の7月ぐらいで、実は実際音を聴かせるのはすごい遅かったんです。だから音も情報もない段階で、とにかくヤバイっていうのを周りに言いまくってて(笑)。「SUPERCARっていうバンドがデビューすることになって。青森に住んでてまだ18なんですよ。本当ヤバくって」みたいな。そのうち音も出してないのに、「SUPERCARってヤバイらしいね」っていうのをいろんな媒体から逆に聞くようになって(笑)。 ──なるほど(笑)。最初の頃の東京でのレコーディングの様子はどうだったんですか? 富樫:レコーディングになるとメンバーは東京のホテルに40連泊とかするんですよ。東京に出てきても友達いないし、行くとこもない。だからなんにもしてないときは下北のdohbオフィスに必然的にいるっていう。僕、三茶に住んでたんで、ホテル代ないときはたまにウチに来たりとかしてましたね。デビュー半年前ぐらいのときかな。もう一緒に働いてる感じっていうか、もちろんアーティストっていう境界線はあったけど、仲間的な意識だったですね。東京にくるたびにナカコーの曲が増えてるんです。で、それをずーっとウチで聴いてるんですよ。「これは何?」て聞くと「自分でこの前作った」って。どんどん出来る。スゴイなぁって。あとそのプロモキット配った頃はライヴがとにかくヘタっていうのがまた噂になってたりとかして(笑)。 97年のファースト・シングル“cream soda” ──俺プロモキットが配られて、“cream soda”が出る前の97年の〈ON AIR WEST〉でのイベントを見にいって。もう演奏はボロボロだわ歌はテキトー英語だわメチャクチャでしたね。 富樫:あんときはボロボロだったと思いますよ(笑)。だからイベントはとにかく一番最初に出て逃げるように帰るっていう。 ──ボロボロなんだけど、4人の佇まいっていうかステージに並んだ感じがもう完全に新しい感じがしたのは強烈に覚えてます。もう超自然っていうか。 富樫:本当そうなんですよね。佇まいてすごい大事で。僕も最初渋谷のギガンティックで見たときに〈あっ〉て思ったんですよね。ライヴなんて2本目ぐらいだったと思うんですけど、音が一音出るまでで、なんか90%ぐらいOKていう感じ。あ、もう大丈夫ていう。だからすっごいヘタで歌詞もムチャクチャ英語だったけど、何かが伝わるっていう気持ちはあって。だからアルバム出るまではライヴでちゃんと歌わなくていいやぁていう(笑)。本当は良くないんですけど。 (→次ページに続く) ──そんなこんなで、あのマスターピースとも言えるファースト・アルバム『スリーアウトチェンジ』が98年に出てしまうわけですが。 富樫:『スリーアウトチェンジ』は目から鱗なのかなっていう。すっごい普通だと思うんですよ。普通に音を鳴らして普通に歌が乗ってるっていう。そういう普通のことがみんなやれてなかった時期だと思うんで。そこに衝撃があったんじゃないかなっていう。ものすごいひねった作品でもないから。4人でしか鳴らせないものだった。しかもバラバラの4人ていう。 ──ですね。で、その時期からSUPERCARを取り巻く周りの状況が一気に加速していった感はありますよね。 富樫:実感はしてなかったんですけど、ただ取材が異常にあるなぁっていう(笑)。アルバムまでは取材はしなかったんですね。インタビューはあんまり得意じゃなくて。初めて取材をやったんですけど、三日間青森から東京出てきたら、その三日間で30本ぐらい取材入れたり。60誌以上やったかな。普通に朝から夜中の0時くらいまでこなして。僕は『スリーアウトチェンジ』が出た98年の初ワンマンライブのクアトロでデカくなってる実感を初めて感じたかな。チケットは売り切ってて、業界向けの招待も足りなくなったのでインビを増刷して600枚くらい配ったら300人ぐらい来たんですよ(笑)。クアトロ1000人越えてもう大変なことになって。入れないから人が下のロビーで待ってて、何人か出てくとそこに入れたりとかもう最悪な状態で(笑)。前のクアトロの店長は超怒ってるっぽくて、僕とか受け付けにいないほうがいいって言われてたから、とにかく逃げてて。「来たのに見れないよ!!」みたいな感じで、途中でみんな帰ったりとか。 ──それ以降は『JUMP UP』『OOYeah!!』『OOKeah!!』『Futurama』『HIGHVISION』『ANSWER』と次々に音楽スタイルを変えていくのが驚きでしたよ。 98年のシングル“Sunday People” 富樫:ある人がSUPERCARは〈場〉だよねって言ってたんですけど、そこで遊べる感じがある。いろんなものを持ってきたり試したりできるバンドだったんですよね。たとえば“Sunday People”(98年)とか初めて打ち込みを入れて、そこからプロトゥールレコーディングに変わってきたり。そのときドラムンベースのイベントで〈Rhythm Freaks〉ていうパーティーがあって、それにデザートストームっていうでっかいサウンドシステムが入ってたんですね。それを98年のSUPERCARのライヴで試してみたり。 ──富樫さん的には、SUPERCARが辿ってきた、ここまでの音楽性の変遷、進化を予想できました? 富樫:正直予想はしてました。それがいいのか悪いのか別として。もちろん新しく何かを得てっていうものもいっぱいあったと思うんですけど。基本的には97年の最初のバリエーションにすでにあった可能性というか。だからSUPERCARは普通のギターバンドじゃないんです。いしわたり淳治、田沢公大、フルカワミキ、中村弘二ていう4人がいてSUPERCARっていう意識。ギター、いしわたり淳治、ドラム、田沢公大ていう感じじゃなくて、この4人でなんか作るものがSUPERCARになっていくっていうか。それこそ全部打ち込みで作り上げてもSUPERCARになると思うし、ドラム叩いてないからコーダイやってないよね、とかそんなところでもないかなっていう。 ──ですね。で、『ANSWER』でまた驚くべき進化を果たしたあと解散にむかっていくわけですが……。それまでにも内部では何回も緊迫した状態はあったんですか? 富樫:もう何回それがあったかっていう(笑)。バンドはそれが普通なんじゃないかと思うんですが、小さい危機は『JUMP UP』のときぐらいから少なからずはあったと思うので。だから98年ぐらいからすでにそれは始まっていたんじゃないかな。『HIGHVISION』のとき、外部の人といっしょにやろうっていう話で納まったときに、ナカコーとミキちゃんとでメシを食ってたらミキちゃんが「やっぱやめたい」って。「えぇ~何を言ってんの?!」ってけっこうビックリして。ナカコーも寝耳に水みたいな感じで、「まぁ頑張ろうよ」みたいに説得してて。でも僕はそういう話があっても敢えて聞かないようにしてたところあるし、聞く耳を持たなかった。「じゃあ次レコーディングいつから入ろうか」みたいな。「次ここでリリースしてこの辺でプリプロ」とか話を進めていっちゃうように。 ──ずっとSUPERCARと密に接してきた富樫さん的に、解散が本決まりになったときどうでした? 3月24日にリリースされるシングルA面集『A』 富樫:最初は「何そんな勝手なこと言ってんの? いいかげんにしてくれ!」て感じですよ(笑)。「もう次のアルバム作るよ。冗談じゃないよ」っていう。そのあと時間をかけて話して納得しましたけどね。「あぁムリかな」っていう。ラスト・ライヴ終わったあと、コーダイが「どうでした?」とか聞くから、「バカヤローだよ」て言って(笑)。まぁよくやったっていう感じなんですけどね。全然実感がなかったんですけど、ライヴの最後の曲になったときぐらいに〈あぁ…〉てけっこうキましたね。『A』『B』とか過去の音源を聴くことが多かったんで、正直、この作業は辛いなぁなんて思ってたんです。曲を聴くと場面が浮かんでくるし、その年にあった自分のことまでが浮かんでくるし。 3月24日にリリースされるシングルB面集『B』 あんまりいい気分じゃなかったんですけど、ライヴで“TRIP SKY”になったときに〈あ、終わるんだな、もうこの4人では出さないんだな〉っていう。やるせなさはもうないですね。みんなも前向いてんでしょって感じ。スタッフも前向いてますよっていう。いつまでも故人を偲んでるわけじゃないんで。会ってから9年ぐらいですかね。おっきなものがいっこ終わったていう感じですね。あぁ全部思い出になってくんだなっていう。
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| 2005-02-27 00:37
| SUPERCAR
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