音楽とうた(2)
内田裕也の立場)
日本のロックが認められるということは、すなわち海外でも通用する音楽を作ること
であり、その為には英語で歌うことが今は必要。
例え現状、日本人に理解されにくくても、音楽は言葉を介さなくても楽器の音色や、
シャウトするという行為によって、なんらかのエクスタシーを共有できれば、
言葉がどうこうというのは2の次じゃないか。

フラワートラベリンバンドを知らない世代にとって、この発言は意外に聞こえます。
裕也さんって「メッセージ側」の人間だと、若い世代は思っています。でも違った。
当時、メッセージは「フォーク畑」の持ち物であって、ロックはサウンドが重視されていた。

内田氏は、ロックを日本語で歌うことが、やがてロックの崇高さを薄め、芸能界へと取り込ま
れていくことを予見し、危惧したのだ。そしてそれは10数年を経て現実のものとなった。

大瀧詠一の立場)
なぜ日本語で歌うのか?それは別にメッセージを伝えようというんじゃなくて、
日本にロックを定着させるための出発点として、まず海外のロックのコピーから
脱却して、オリジナルのロックを自国語で始めることが大切だ。
芸能側への組み込みを恐れるあまり、英米のロックのみに価値を見出し、
コピーしていたのではなんの進展もない。


結局この問題は、日本特有の「和洋折衷文化」によって収束してしまう。
一つの歌に日本語と英語が混ざって歌われるという、よくよく考えれば
訳分かんない構成が、定着することによって終息した。
でも日本ってそういう国なんだ。生活には日本語と英語、外来語、和製英語が溢れている。

(この項、終わり。) 参考文献:ユリイカ2004年、9月号
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by POP_ID | 2005-03-13 05:21 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
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