きくちP(フジTV)
>また、ひとつ
ニッポンの
ロックが
死にました。。

5月2日は
わたしにとって
ロックの命日です。



写メは
2005年2月28日収録、
『僕らの音楽』
「忌野清志郎 35周年 RESPECT!」
3月5日の第46回放送のために
仲井戸麗市さんとふたりきりで
「I SHALL BE RELEASED」を
演ってもらったときのもの。。。
「何故この曲なの?」
清志郎さんからも
CHABOさんからも問われました
けど、、、
2001年9月
清志郎さんが間寛平さんと
『堂本兄弟』に出演されたとき、
収録から放送までのあぃだに、
同時多発テロが起きて、
清志郎さんが書き下ろした
寛平さんの新曲
「ジャングルジム」
ふつうに収録したこの曲の
歌詞の一部分が、時節柄
放送できなかったの。。それで、
9月の『堂本』収録終わりで
清志郎さんに club asiaまで
謝りにいったことがあって、
清志郎さんはいつものように
不敵な笑みで許してくれたけど、
2003年4月22日
わたしたち音組が収録してぃた
「アースコンシャス」の武道館で
清志郎さんがうたった中の2曲が
大人の事情で、ラジオの生放送で
放送されない、て事件があって、
終演後の楽屋で、清志郎さんに
「きくちのとこは大丈夫だょな」
と念を押されて、
「もちろんだいじょぶです!」て
答えた、にもかかわらずやっぱり
後日、大人の事情で、その2曲は
放送できなくなって、、、それで
2005年『僕らの音楽』で
清志郎さんの35周年を
演ることになったときに、
CHABOさんをくどぃて、
ふたりで1曲
「自由に歌えるさ」て、
うたってほしかったの。
清志郎さんにもCHABOさんにも
笑われちゃったけどね。
ちなみに、もぅひとり
板谷ディレクターに
「何故この曲を演るのか」
説明するのに、『COVERS』
『コブラの悩み』から、
『TIMERS』そして
『不死身のタイマーズ』、
『冬の十字架』まで10曲くらい
聴いてもらって説明したのを
憶えてぃます。。

『LOVE LOVEあいしてる』に
最初のSMAP;
木村拓哉くんが来てくれたとき
木村くんが撰んだ
LOVE LOVEなうたが
「君が僕を知っている」。
木村くんは、清志郎さんのこと
ちゃんと知ってるなーて思った。
もちろん清志郎さんと共演です。
『堂本』では
「200回記念コンサート生放送」
「1st LIVE」にも来てくれました
2006年「2nd LIVE」の直前に
清志郎さんは病に倒れて、
動揺したわたしは
わたしなりのリスペクトを持って
「2nd LIVE」のオープニングの
堂本ブラザーズバンドの登場SEに
「200回」のアンコールで演った
「ドカドカうるさいR&Rバンド」
を流したくって、、開演直前まで
楽屋でメンバーと話し合ったけど
「特別な意味をもつから」と
説得されて断念した想い出も。。

きりが、なぃ、な。

ともかくも、
忌野清志郎さんは
吉田拓郎さん、
大瀧詠一さん、と並ぶ
わたしのロックアイドルでした。
先日届いたファンクラブの会報が
最終号?だったので、なんか
胸騒ぎはありましたけれども、、
今となっては
去年の武道館のアンコールで
「よォーこそ」を聴けたのが
夢のよぅです。

あぁ、もぅ逢えないのか。。。
現実感がなかったけれど、
なんか、やっと、涙が出てきた。
清志郎さんに
『瀕死の双六問屋』で叱咤された
あのときの気持ちのままで、
わたしは、わたしらしく
きちんと音楽と向きあいます。

ありがとう。
ボス、安らかに。。。

Ps。
きょう逢ったひと
みんなが哀しんでぃました。
高見沢さんも、坂崎さんも。
X JAPANのドームで
SUGIZOがバィオリン弾いてて、
『LOVE LOVE』のときの
「サンシャイン・ラブ」
思い出しちゃった。
そこにも、ここにも、
いっぱぃいっぱぃ散らばってる。
さっき、27時48分の大事な電話
出れてよかったょ。
だって、できるなら、ボスに
もぅひと目、逢ぃたぃもん。。
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by POP_ID | 2009-05-05 02:09 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
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