奈良美智(画家)/『5月2日』
>清志郎の死を最初に知らせてくれたのは、摩天楼の隙間に見上げた曇り空から伸びて、通りを照らした一筋の光だった気がする。

僕の頭の中ではずっとチャボと清志郎が演ってる『君が僕を知ってる』が流れ続けていたんだ。

今は5月6日の朝で、僕はもう日本に帰って来ていて、さっき1枚の絵を完成させたところだ。最近はわりと頻繁にこのブログを更新してきてたけど、清志郎の死はとてもショックでこの4日間あまりは、制作もなにも普通には出来なかった。ネットを検索して見れる限りの映像を見たりしてた・・・古いやつから新しいやつまで数々のライブ映像・・・それからチャボと一緒にあの歌を演ってたり・・・多摩蘭坂の角に立ってアコースティックギターで歌ってた。あの石垣も今はないんだよね。

音楽にのめり込んでいった十代から、ずっと清志郎はリアルタイムで一緒だった。というか、反骨精神あふれる先輩だった。フォークもロックもRCはいかしてた。シングルマンのジャケには脱帽した。ライブアルバム『RHAPSODY』は、東京から愛知へ引っ越す時に荷物と一緒に乗っていったトラックの荷台でずっと聴いていた。あのタイマーズは、友だちが送ってくれたカセットテープをドイツで聴いた。ドイツの空の下、東京FM夜のヒットスタジオ事件には飛び上がって、学校へ向かう道を自転車漕いで笑いながら大声で同じく歌った。

・・・・・・20才の時に出会ったOのことを、ずっと言葉にしたいと思っていた。彼と僕とを結び付けていたのは清志朗の歌だったはずだ。お互いに絵を描くことで繋がっていた気がするけど、実際は清志朗の歌の中にあるスピリットが僕たちを強く結びつけていたと思う。宮崎から東京へやって来た、ひとつ年下のOは20才の僕にもっとも影響をあたえた人かもしれない。

・・・・・清志朗は、東京から愛知へ引っ越してからの大学生活、僕を1年下のKとも繋いでくれた。Kのこともいつか声を大にして話したい。彼と一緒に曲を作りボロッちい機材でデモテープを作ったのは86年頃だ。

嗚呼、まだ清志郎への感謝の言葉がうまく出てこないや・・・

3年前かな、どっかの新聞社から「好きな人!会いたい人!と、対談できますよ~♡」という話があって、「じゃ~忌野清志郎さん!」って即答して、忌野さんには既に一度出てもらっているので他の人で・・・と言われて、「・・・他の人は即座に思いつかないので、じゃ~いいです~」と断ったことがある。僕はほんとに清志郎に会えるなら会いたかった。会って、何を語れるのかはわからないけど、オーティスやレノンやミックやドリス・アレンやリヴァプールやベイエリア・・・・・・・。会って話して、普通の人間だって事を確かめて安心したかった。

最後に見たのはフジロック・・・ちょっと小雨模様の中で、キングはシャウトしてた。僕らはオーディエンスかきわけて、最前列まで踊りながら進んでった。ステージは輝いていた。

もう少し時間が経った時、もっと冷静に彼に関するいろんなことを話したい。

http://harappa-h.org/modules/xeblog/?action_xeblog_index=1&cat_id=4
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by POP_ID | 2009-05-11 19:47 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
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