水道橋博士/5月2日  土曜日
>8時起床。
二日酔い。かなり深刻。
もう深酒は止めようと、本気で思う。

GW、俺も休みが続いているのだが、
最初は、潮干狩りを予定したが、
調べてみれば、潮目が悪くて断念。
しかし、遠出は、伝えられる渋滞を考えれば、
気が引ける。

結局、子供二人を自転車に載せて、
いつもの善福寺川緑地公園へ。

しかし、前の駕籠に、フミ、後ろにタケシ、
3人で話をしながら、
無心で自転車を漕いでいると、
一瞬、宙を浮かんでいるような、
それはもう至福な気分。

釣り堀『武蔵野園』へ到着。
通り過ぎるのは、何度もあるが、
目的地にここへ来るのは初めて。

早速、竹竿に練り餌で糸を垂れる。

3度、大きめの鮒を釣りあげ、
タケシも手にその当たりの感触を楽しむ。
フミも様子を見ながら楽しそう。

自転車移動。
善福寺川公園内の杉並児童交通公園へ。
タケシは一人で自転車に。
俺はフミと一緒にカートに乗る。

帰宅後、松田賢弥、雑誌連載、資料読み。

HDDチェック。
『ワンダー×ワンダー』(結晶洞窟、凄い)
『ニュースキャスター』

インフルエンザの話題もりきりのなか、
殿、第一声。
「結核の死者数は、一日5千人。
 日本の自殺者は、1日100人を超える」

と殿が言えば、改めて、アナウンス効果大。

番組最後に、忌野清志郎死去の報。

http://blog.livedoor.jp/s_hakase/archives/50794452.html



>聴いている音楽、ミュージシャンの話は、
この日記にあまり書いていない。
が、それでも、RC、清志郎の話は、なんどか書いている。

俺の世代では、矢沢永吉の影響を語る人は多いが、
俺の場合、永ちゃんに人生を左右されるような影響は、
ほとんど受けていない。
しかし、清志郎には、本当にお世話になった。

初めて清志郎を意識したのは、高校生の頃。
林義夫のパック・イン・ミュージック、
ユア・ヒットしないパレードのベスト10で、
ずっと一位をキープした曲、「雨あがりの夜空に」だった。

その後、新譜も、旧譜も買い揃えるようになった。

高3の時、クラスで演奏会が企画され、
クラスの中の、いけてないグループは、
そのなかでも、最もいけてなかった俺の提案で、
『トランジスタラジオ』を演奏した。

俺は、そのとき、もちろん、ボーカルでもなく、
しかも、楽器は何も出来ず、
パーカッションもどきをしていたが……。
真っ暗闇の高校生時代で、
少しだけ陽が差していた時間だった。

あの歌詞を聴くたび、
時々、思い出しては、泣きそうになる。

高校時代に、
『シングルマン』、『EPLP』を
何度、聴いたかわからない。

『君が僕を知っている』、『わかってもらえるさ』は、
歳を経ても、その頃の想いが、
沁み入るように蘇り、切なくなる。

そう言えば、芸人になる前に、
岡山から九州まで車に乗って旅行した。
車中泊であったが、
カーステレオで、『スローバラード』をいつもかけていた。
特に広島球場の駐車場で聴いていた、
スローバラードは忘れ難い。
とは言え、あの子と手を繋いでいたわけではなく、
ボンクラ仲間と男二人きりだった。

あの頃は、悪い予感のかけらしかなかった。

その後、『!』(アイオー)という映画の主題歌で
スローバラードが使われるのを聞いて、
なんとももったいない、と思ってしまった。

4年も続いた、ワイシャツ屋のバイト時代、
来る日も、来る日も、
「いいことばかりはありゃしない」
が流れ続けていた。


そう言えば、早坂好恵ちゃんの誕生日に6枚組の
ベストアルバム『コンプリートBOX』をプレゼントしたことも
あったなぁ。

思いだした、
RC解散後に清志郎とチャボが共演した日比谷野音、
ワンナイトライブ、その日、俺は、ニッポン放送で
『奇跡を呼ぶラジオ』の生放送があったが、
ずっと野音の横に車を止めて、本番前まで聴いていた。

確か、ラジオの最終回に『BLUE』の中から曲をかけた。

芸人になってから、
自分が清志郎ファンであることを広言しなくなった。
音楽を軽々しく、好きって言えなくなった。
何故なら、俺より、ずっと清志郎のことを熱烈に好きな人が
たくさんいるのだから。(例えば、原タコヤキ君とか……)

なにしろ、俺は、ビートたけしという、
世界で一番好きな人の弟子になれたのだから、
僕の好きなミュージシャンとか、僕の好きな芸人とか、
名前をあげるのを控えるようにしていたのだ。

それでも、神様は機会を与えてくれる。

1998年6月には、
『ビートニクラジオ』で、
殿と清志郎と共に同じ時間を過ごした。
殿と、清志郎が、すごろくゲームでトークした。

当時の日記には-。

 嗚呼、清志郎様って…会えるだけでも
 失神してもイイくらいの、
 俺にとっての憧れのロックスターでありながら、
 想いも伝えられず。そういうものだ。

と書いている。舞い上がっていた。

そして、2002年9月には、
渋谷『ON AIR WEST』で、
『TV Bros』15周年記念ライブで、共演した。
ロマンポルシェ、清水ミチコさんと一緒だった。

当時の日記には……。

 清志郎と同じステージに立つた。
 なんと光栄なことか。
 眩しく見つめてしまう。
 清志郎さん、自転車にて来場。
 すっかり、ポルちゃんやめて、自転車マニアなのだ。

清志郎は、「セムシーズ」を名乗り、
覆面スタイルで演奏した。

舞台袖でお話したが、
ロックスターのオーラのようなものを消し、
威圧感が無いのには驚いた。

ステージとはまるで違う印象だったのだ。

青春時代、これから生き続けると思うことすら、
しんどい暗闇のなかにいた。
でも、サンボマスター山口くん風に言えば、
清志郎は、そんな俺の"夜にしのびこみ"
まるで俺一人のためだけに、やさしく歌ってくれている
とまで錯覚させた、偉大なるバンドマンだったのだ。

小さな声でしか言えないけど、
ホントにホントにホントに、いてくれてありがとう。
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by POP_ID | 2009-05-17 02:57 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
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