キヨシロー愛してるぜ
◆ファンの心永遠に たまらん坂・映画館などで追悼
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ロック界のカリスマ忌野清志郎さんが、58歳で亡くなって1カ月余り。その存在の大きさを語るように、都内のゆかりの地で、街の映画館で、「追悼」の動きが絶えない。「ロックの日」の9日も、ファンの心に永遠に生き続ける清志郎がいた――。(永沼仁)


 ファンの間で「聖地」とされる「多摩蘭坂」。国立市と国分寺市をまたぐこの坂の途中に、20代の清志郎さんは一時、暮らしていた。当時を歌った同名の歌もある。


 元来は「たまらん坂」。坂の由来を説明する石碑周辺は、清志郎さんが亡くなった先月2日の翌日から、花やビール、写真などを供えるファンの姿が絶えない。週末には、ギターを手にした人たちも集まってくる。


 9日午後にユリの花を手向けた女性(40)は、中学時代以来のファン。部活の先輩が好きなアーティストとして聴き始め、はまった。「きょうは『ロックの日』なので来ました。これで少し、気持ちの整理がつきました」


 弔問するファンは、そばに置かれたノートにメッセージを残していく。「青春をありがとう」「楽しかったぜベイビー」。感謝の言葉に交じり、こんな影響力の強さを示す言葉もつづられている。


 「あなたの存在は これからもずっとずっと消えません」「豚インフルエンザよりも爆発的にあんたの歌が広まっているぜ」


 渋谷の映画館「ヒューマントラストシネマ文化村通り」では、01年に公開された「不確かなメロディー」(杉山太郎監督)の追悼上映が26日まで続く。


 00年に全国のライブハウスを回った清志郎のドキュメンタリー。再上映の要望が寄せられ、緊急上映が決まった。12日までは午後7時と8時50分の開演だ。


 会場に足を運んだフリーター女性(29)は、葬儀にも出掛けたという。「愛」や「平和」を堂々と語る姿に心を揺さぶられてきた。「大人であんなことを言える人はいない」。ファン歴約30年の主婦(49)は「いつも前向き。私もそう生きたい」。女性教師(60)は「反原発などをテーマにした作品が放送禁止になってもぶれなかった」と、その反骨精神をたたえる。


 映画のプロデューサーで、配給元のレジェンド・ピクチャーズの利倉亮社長(49)は「流行を追いかけず、まじめに好きなことだけをやり続けた」と振り返る。「『夢を持ってるかい』とメッセージを送り続け、我々を元気にしてくれた」


 タワーレコード新宿店(新宿3丁目)。98年の開店記念に清志郎さんがゲリラライブを敢行し、自作の絵画を飾った場所だ。先月3日から、派手な追悼コーナーが設けられている。1970年のデビュー以来、発表作はアルバムだけで70点以上。その膨大な作品群の中で、ライブのDVDが売れているという。


  同店では、16日に入荷する遺作「Oh!RADIO」に合わせ、さらにPRを強めるという。「日本のロック界で唯一無二。便乗と言う人もいますが、リスペクト(尊敬)の意味で展開したい」
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by POP_ID | 2009-06-12 00:52 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
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