日本にパンクスはいるのか?
TB FROM 第十六回 「CHANGE COSTUME」

ブルハを再考していくにつれて、俺の中でひとつのコラムネタが渦を巻き始めてた。
「日本にパンクスは存在しえるのか?」という疑問。
そんな折、まさにジャストなタイミングで上記ポストを読んだ。
俺はブルーハーツをパンクロックという定義だけでは聴いていない。
パンク要素もあるし、ロックであるし、真に良質なポップソングもたくさん発表したから。
それこそ「パンクロック」という曲は、素晴らしいポップソングだと思う。
(まぁ"GOD SAVE THE QUEEN"だってまさにPOPSだよなぁ・・・。
PUNK信者は怒るかな?俺は信者じゃないからなぁ。。。)
俺は彼らの『喜怒哀楽』が全部出てくる作品群と愛すべきキャクターたちに心底惚れた。
で、話を戻すと、
イギリスにはれっきとした階級社会がある。そこには失業問題と、貧富の差が
抗えないほどに存在している。
対する日本は一億総中流社会(当時)であったわけで、それこそ日本という国はかつて、
年功序列と終身雇用制に代表された、社会主義的資本主義国家であった。
そんな社会構造のもとにパンクという概念は輸入できても、
真のパンクスという存在はありえないのではないかと考えていたところでした。
(異論・反論を歓迎します。)



>「パンクだとか言われてたからパンクについて考えたんだけど、日本でパンクなんかあり得ないんだよね。だったら若い奴の気持ちの中に一番入っていくのって、やっぱり恋愛事だと思う。それで自分なりの考え方みたいなものが伝えられたらそのほうが気が楽だよなって思った。そしたら今度は客がブーたれる訳。もうBOØWYは終わったねみたいなさ。だからいつも追いかけっこだよね」

を読んだから、まさにビンゴ喰らった感覚でした。

で俺は、実際に聴いてはいなかったものの、雑誌などで見てて、
ボウイは「パンク畑」のバンドだと思っていたから、
一瞬だけやってたバンドで「NO.NY」をコピーするって言われて、
CMで聴き覚えのある軟弱なポップスが、あのボウイの曲だと知って、
「えーーーー!?」と思ったのでした。
で、その後のブレークしていく過程を傍で見てても、
なんか氷室ックは「微妙な」ファッション(水っぽい)しているし、
(自分のロック範疇には入らないな。)と思っていました。
でも上記発言でそれがバンド転がしの確信的結論だったと知って、
改めて納得したのでした。
でもボウイは、それだけのバンドではない。
だからライブには男も4割程度いた。
俺は"DANCE CRAZE"で、"PLASTIC BOMB"で踊り狂った。
そこがグレイとの大きな違い。
「わがままジュリエット」「クラウディー・ハート」「MEMORY」
ボウイの女性受けする「おいしい曲」のエッセンスだけを抽出して、
ビッグセールスを獲得したグレイ。すぐれたポップセンスだろう。批判の対象ではない。
しかし俺の範疇ではないな。

今、久し振りに「サイコパス」を聴いてる。最高の完成度だ。文句無しの傑作。
前に、素晴らしいソングライトユニットについて書いたが、
氷室&布袋も加えなくてはならない。

ジョン&ポール
キヨシロー&チャボ
ヒロト&マーシー
「月刊 小沢と小山田」
ジュンジ&ナカコー
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by POP_ID | 2005-05-05 04:57 | MUSIC | Trackback(1) | Comments(10)
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Tracked from 仙台インターネットマガジ.. at 2005-06-06 15:24
タイトル : 駄洒落考 2003.5.X 初出
というわけで ギャグ、コント、コメディー、ユーモア、駄洒落…… いったい人間にと...... more
Commented by yiralisakevin at 2005-05-05 06:02
日本に於ける「怒れる若者」とか「狂気」というのは、実はポップ側/伝統芸能側(一部歌謡曲/ヴィジュアル系含む)に多く居るという事実がありますよね。暴れるのでは無く、無意識に静かに狂っていくというか。お金はあるけど未来が無い、世界でも稀な妙な絶望感がこの国にはありませんか?
それを古典的ロック文脈(例えば4レター・ワーズ)で表現すると、とてつも無く安っぽくなる気がします。其処に意識的であるかどうかが、音楽的素養以前にミュージシャンに求められている、めんどくさい時代です。

歌う、という事は否が応でも
「お前はこの世界をどう思ってるのか?」と自分と他者に問いかける作業でもあります。そこに何か引っ掛かりを持たない為に、道に迷ったミュージシャンを沢山知ってます。本人たちは「迷った」とは思ったないでしょうが。売れたり、業界で評価されてれば無問題でしょうから。

モー娘。とあややの数曲と、Dir en greyの幾つかの曲には
日本のパンクを感じます。
前者が背負った未来亡き少年たちの無意識の狂気と、
後者が示す世界への違和感の提示。
Commented by yiralisakevin at 2005-05-05 06:11
ちなみに、パンクの概念の変化で言えば
車の世界において日本車はパンクチュアルな存在だと思うんです。
ブランドの幻想を品質/価格競争というリアルな商売の論理で打ち壊しちゃった。下克上です。

で、のし上がったあと
次に何をしたらいいか判んなくなっちゃったパンクス・・・。
Commented by POP_ID at 2005-05-05 06:17
世界でも稀な妙な絶望感については、考えないようにしています。
出口が無さすぎて、徒労感しか残りませんから。
できれば南国的極楽思考でありたいものです・・・。(ムリ)

現代日本の構図は別項に譲るとして、あくまで当時のシーンで、
アナーキーなり、町田(INU)なり、ミチロウはパンクスだったのでしょうか?
それとも「パンクロックミュージシャン」だったのでしょうか?
Commented by yiralisakevin at 2005-05-05 06:25
町田町蔵・アナーキー(藤沼さん以外)は、「自己実現の為にパンクを使った人」で、ミチロウさんは「自己表現とパンク(東京ロッカーズ)がリンクした人」だと思ってます。ムーブメントが無ければ表現をしない・出来ない人と、状況関係無しに歌ってる人の違いというか。
Commented by yiralisakevin at 2005-05-05 06:28
その「南国的極楽思考」こそ、本当のパンクなんですけどね(笑)
Commented by POP_ID at 2005-05-05 06:33
となると、ボ・ガンボスはパンクでしたか?(脱線気味・・・)
Commented by yiralisakevin at 2005-05-05 06:38
あはは!
まさしくそう言う事ではないでしょうか?
生きたい/生きて行く意思の事を僕はパンクと呼んでます。
Commented by marqueeclub at 2005-05-05 11:08
こんにちは。
パンクって括りは、決して音楽的嗜好のカテゴリーではないんでしょうね。年寄りじみた結論なのかもしれないけど、十代の若者たちはいつでもパンクを体感できると思う。でも暴力だ破滅だのただのアナーキーな行動がパンクという訳じゃないし。そこに純粋な志しや努力みたいなものがあるから美しいという感じしますね。
昔、スピッツが楽曲の純度を保ったままで、ちょっとインディーズっぽく、ちょっと言動めちゃくちゃだったら、格好いいよなあって思ってました。ポップスの針を全部振り切ってしまわないところがいいかなあとか。
Commented by POP_ID at 2005-05-05 15:33
スピッツはブルーハーツを聴いて「こりゃかなわない。」とパンクを放棄したらしいです。マサムネの詞にはパンクになれなかった男の意地が見えます。ロビンソンは分かりやすすぎてつまらない。やっぱり初期が好き。

ビートルズもピストルズも衣装は仕掛け人がコーディネートしてた点で
一緒です。新種のポップ・アイコンの売り出しという点で、自主独立した
表現者とは言えない。ロックをアートとイコールで結ぶのは実際かなり
無理があります。ポップスと呼ぶ方が負担が少ないな。
Commented by POP_ID at 2005-06-06 16:23
仙台からのトラックバック。なんか接点あったっけ?
わからないけど、まぁいいや。
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