EIKOKU-NIHON-ONGAKU
最近読んだ本・読んでいる本 - 英国本あれこれ
>いつの頃からか、英国のリアルタイムの音楽の多くが、自分にとってはあまり楽しめないものとなってしまった。それは、質的な問題なのか、はたまた私の興味の問題なのか...考えてみれば、ずっとどこかでそれを考えていた気がする。

この年代の人にとって、日本・外国問わず今のシーンに物足りなさを感じているのだなぁ。

>ちなみにブリット・ポップは「第二の道」の末期で、リヴァイバル的な何かを求める気風が英国国内に横溢していたとも取れるし、よりメディアによる操作が巧妙になったとも言える。またこのへんは、どれくらいの年齢だったかも関わって来るのだろう。

リヴァイバル的と言えば、それはまさにあの「渋谷系」もそれに当たる。
いくつもの墓を掘り起こして、再構築する作業は僕にはとても新鮮に感じた。

>「第三の道」以降の音楽がもうひとつわからないのは、リアルに、手に取るように音楽の内面に共感出来るものがなかなかない-それに尽きるのだけれど、これはもうそんな歳じゃないから、とも言えるかな。

歳という要素を加味すると、抗えないのは確か。でも本当にそうなのかなぁ?
ポップミュージックなりロックなりの一部分は、常に「経験値の少ない若者を対象に作られている。」わけだから、経験を積むほどに聴けなくなっていくのは仕方ない。
だからもう、そういうたぐいの音楽が幼稚で下世話と論じても意味がないよなー。
歌謡曲は歌謡曲としての楽しみ方もあるし。
とはいえ近田春男ほどの認めたがり屋さんにはなりたくない。(「考えるヒット」参照)

商業音楽である以上、僕らの年代を消費者として考えた時に
「おいしい市場」じゃないんだろうな。
いいとこ30前半までで。
だから僕らにおいしい音楽がリリースされない。
スピッツが同年代のおっさん用の曲をリリースしないのは、そいつらはライブにも来ないし、
子供に金かかってCD買う余裕もないから?
まぁそれはうがった物言いだけども。
草野マサムネは佐野元春とは違うタイプのアーティストなのだから。

>英国音楽のある(好きだった)味が失わなわれたと感じる理由は、結局その時代にしか成立し得なかった、ある共有された意識が音楽の中に存在しないからなのだな...当たり前と言うか、地味だけれど、そう思う。

その共有された意識が、自分の思春期とタイミング良く出会い化学反応を起こしていたのだなと。だから、今の英国音楽の多くがクォリティーが下がったというよりも、作る人間の内面にある(無意識的といってもよい)精神的基盤、阿呆みたいにきこえるかも知れないけれど、たとえば権力や多数派の暴力には警戒しようとか、社会的弱者には優しい目を持ちましょうとか...そういう、お題目に聞こえるかも知れないけれど真っ当な、第二次大戦後の先進国の庶民にはまだ多少残っていたのであろうシンプルで素朴な人道主義的な善意や願いが、英国の若い音楽に感じ取れなくなって来たのだと、そういうことに思える。


それはまさに日本も一緒だと思います。
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by POP_ID | 2006-06-22 16:07 | MUSIC | Trackback | Comments(2)
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Commented by yiralisakevin at 2006-06-22 16:36
同意。
「志」が音楽のひとつの要素であり、音楽に作った人の人間性が(欠片でも)作品中に出る以上(それがわからない作者も消費者も多いですが)

『つまらない音楽』は、つまらない作者とつまらない消費者が作ったものである。大原則だと僕は思ってます。

・・・さて、じゃあ僕達はどうしたらよいのか?
とりあえず撮り続けながら考えようと思います。
Commented by POP_ID at 2006-07-08 00:08
ナカタのパスが生きなかったのは
走れるFWがいなかったからなの?
あのつまらないサッカーは誰が作ったの?
ジーコなの?チームなの?サポーターなの?チェアマンなの?
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