カテゴリ:MUSIC( 185 )
もう一度お勉強。
ややこしい音楽の権利たち。
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0606/12/news005.html

>以前はJASRAC一社が音楽著作権のすべてを行なってきた。
2001年に「著作権等管理事業法」が施行され新規参入が可能になった。。
だが音楽著作権にまつわるすべてが、新規事業者に任されているわけではない。
「著作権等管理事業法」では、音楽著作権を4つに分けた。

「演奏権等」
「録音権等」
「貸与権」
「出版権等」

である。これを「支分権」という。

e-Licenseなど新規参入の管理事業者は、このうち「録音権等」のみの管理しか行なうことができず、
そのほかの権利に関しては相変わらずJASRACが独占的に管理している。

普通我々一般人が思い描くアーティストとJASRACの関係は、アーティストがJASRACに著作権管理
を委託していると思っている。だが実際にはその中間に、「音楽出版会社」というものが存在する。
アーティストはこの出版会社に、自分の権利を「譲渡」する。
そしてその出版社が、JASRACに権利を委託する、という二重構造になっている。

*
平沢氏: 例えばメジャーなレコード会社でレコーディングが終わるとある日突然、
出版会社から契約書が届くんですよ。で、契約してくれと。
契約書が送られて来た時点で、JASRACにもう勝手に登録されているんです。
それによって、出版会社に権利が永久譲渡されている曲というのがあったりするんですよ。
で、JASRACで集金されたお金は、この出版会社を通るだけで
50%引かれて(搾取されて)、アーティストへ戻るという構造があるんですね。
*

JASRACが回収した著作権料は、権利を譲渡されて保持している出版会社が貰うことになる。
アーティストには出版会社から、印税という形でお金を受け取る。50%天引きでだ。
つまりレコード会社と出版会社のタッグは、原盤権も手に入れた上で著作権までもゲットし、
その著作権料で制作費まで回収し、回収が終わっても曲が売れ続ける限り、
著作権料としての利益を上げ続けることになる。

――音楽出版社というのは、必ず通さないといけないものなんですか?
*
平沢氏: これはもう動かせない構造として、存在するんです。JASRACの会員になるか、
出版会社を通さないと、JASRACとそのほかの管理会社に対して支分権が振り分けられないん
ですね。e-Licenceというところは、それは理不尽だと考えているんです。そこでMCJPという
出版会社を作っています。ここは単に支分権の振り分けを行なうだけで、50%という料金を取らないんです。
*

ここで問題なのは、多くのミュージシャンがこの大事な著作権を、出版会社に譲渡してしまっていることである。
つまりミュージシャンが著作権侵害を発見しても、作った本人には著作権がなくなっているので、
どうすることもできない。これは侵害以前に、大変な問題だ。

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こういうのは音楽ビジネスだけなのか?
小説家は?写真家は?画家は?詩人は?

>アーティストはこの出版会社に、自分の権利を「譲渡」する。
期間を定めた「貸与」ならまだしも、「譲渡」というのはすごい。
自分の作品の著作権を他人に奪われることを強要されてしまうのだ。
印税が入るったって、それは曲を売る努力をしての話であって、
「廃盤」にして放置すれば印税は入らない。
アーチスト自身が自分の(廃盤にされた)曲を自主的に売ろうとしても、
簡単にはOKされない?

リンク先の記事では、「演奏権等」「録音権等」「貸与権」「出版権等」の
詳細が明らかでないので、まだ分からないことがたくさんあります。
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by POP_ID | 2009-07-06 18:42 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
「新しい人は新しい音楽をする」
武久 源造 著

清志郎という稀代のミュージシャンの死を受けて、
今一度、この本をプッシュしておきたい。

>表現者として表現の自由を貫くということは、何かに守ってもらうことを放棄することであり、
明日はどうなるか分からない生活に身を委ねることを意味する。
自分を励ましつつ、今日もまた新たな音を紡ぎ出そうと楽器に向かう。
理由もなく希望がわいてくる。そんな自分の楽天性に苦笑いを噛みしめつつ。

>芸術を行うこと、それは「人間の心」を受け止めて表現することだ。そのとき、
私が音楽をしていると言うより、音楽が私を生み出している、音楽が私を作っていると
感じられる状態になる。
歌うこと、遊ぶこと、創造すること、愛すること。これらは皆一つの営みなのだ。

>今の音楽産業はいわばファミリーレストラン化している。

>バロック時代に最も好まれた表現上のテーマは対立概念のせめぎあいであった。
大きなものと小さなもの、崇高なものと醜悪なもの、キリストと反キリスト・・・。

>バロックの美学とは、相矛盾するあらゆるものを同時進行のうちに感じとり、生と死が
実は隣りあって存在していることを<美しい>と感じるデュオニソス的感性であった。

>確かにコンサートはそのある意味で宗教的儀式に似ている。この意味では、舞台上の
司式者である演奏家は、音楽作品と聴衆への無慈悲的愛によっていわば蒸発し音楽体験
だけがそこにある、という状態がコンサートの理想であるはずだ。
しかしそれは容易に達成されない。

>偏在的波動であるである音楽と合一することで、人は自分のいる場所を忘れ、
空間を忘れ、一瞬、自分自身であることも忘れる。それは臨死体験とも言える状態である。
しかし人は「死の匂い」を嗅ぎつつ行きられるほど強くはなれない。
反対に人は、自らの体の命運を超えることを欲し、永続性の証しとなるものを絶えず生み出
そうとしてきた。人間の煩悩のゆえ、音楽もまた不死の記号となり下がってしまうのだ。
さて、そうなると演奏会場はどうなってしまうのだろうか。そこもまた我らが人生同様、
相矛盾する欲求の、真実と虚偽の戦場となるのである。このため今日、演奏の場で
真の感動、すなわち良きマナが降り注ぐことは、残念ながら稀と言わねばならない。

(金言だらけで、紹介しきれない。一部省略して掲載しています。太字はPOP-IDにて。)

ファミレスには真に良質なお料理は期待できない。
クレームをつけようにも本当の作り手は現場にはいない。
現場の作り手は個の才能を発揮できない。
効率主義、能率主義、商業主義。

コンサートはいわば「ファッショ・ショー」
音楽の本質はそこにはない。
コンサートに「音楽」が存在してたのは、70年代が最後なのかもしれない。
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by POP_ID | 2009-06-13 15:47 | MUSIC | Comments(0)
336Mのダム、180,600,001千㎥の水。
魂のある音楽が減り続けているのが
ない音楽より売れないからだとしたらむなしい

ただ才能のある人が減ったんだろうと解釈したい

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自らの悲しみより先に
残された家族の悲しみを思うのも
彼から教わった大切なことのような気がする

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真っ赤なスーツ着て
満面の笑みで歌う
そんな60歳の彼が観たかった
本当に観たかったよう。。。。。。。。

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堰き止めた悲しみのダムがまた
1M上に積み上がる
夜は苦手さ
こんなんじゃ
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by POP_ID | 2009-05-27 01:37 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
ROCKでは狭すぎて。(清志郎)
清志郎を日本のKING OF ROCKと一般マスコミや一般人は言うけれど、
今の日本のROCKって奴を見渡してみると3分間の娯楽に過ぎないことに気づく。
テクニックもアイデアもかっこよさもふんだんに盛り込まれている。
だけどそれだけで生涯不変の感動には繋がらない。
<そんな中でのKINGなんて嬉しくもなんともないやい!>
俺が現在好きだと公言している若手中堅バンドだって突き詰めればそうだ。
それはROCKに止まらぬ前進を求めた自分の志向のせいだから仕方ない。
清志郎も自分の音楽が娯楽の一種であることを自覚していたけれど、
その自覚から生まれたものがなおそのレベルを100光年分凌駕していることも
明確に自覚していた。

それは本人の口からHIT CHARTの1位を取れないことに関して、
筑紫さんのインタビューで答えていたはずだ。

30年経っても人の心の芯にまで深く根を張る歌を残した巨人。
ジャンル イコール キョーシローでもいいけれど、
日本最高のSOUL SINGERと呼びたいな。

ROCKなんてキョーシローの一部分に過ぎないって。
SOULは普遍の音楽なんだ。

ロックン仁義
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND4897/index.html
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by POP_ID | 2009-05-27 00:00 | MUSIC | Trackback | Comments(1)
死とROCK。
俺は渋谷陽一ではないのだが、
忌野清志郎と佐野元春を抜きにして、
日本の何を語れと言うのだ?くらいの誇りはある。

死とROCK。

二人の作品を上げてみよう。

「ヒッピーに捧ぐ」

「エンジェル」

「グッドバイからはじめよう」

「シャドウズ・オブ・ザ・ストリート」

これらの曲について、何かを書くとなると
ものすごいエネルギーが必要なので、今はここまでとします。
熱い悲しみと冷たい悲しみ。
二人の作風が端的に表れていますね。

♪言葉は もう何もいらない ただ見送るだけ

今は、亡き清志郎への鎮魂歌として受け止めたいと思います。
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by POP_ID | 2009-05-21 21:33 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
RADIOを歌う者たち。
清志郎の死去に関して、
佐野元春からのコメントは確認していません。
いくらTVを見ていなくても、知らないはずはない。
沈黙にこそ意味があるのかも知れない。

両者にとってラジオというテーマは、
大切なキーワードになっている。

「トランジスタ・ラジオ」
「悲しきレイディオ」どちらもLIVEで盛り上がります。

そして元春の最新アルバムには、
「ラジオ・デイズ」という曲があり、
清志郎の最新シングルは、
「Oh!RADIO」です。

僕は以前、ラジオコンピが作れないかなぁ?と思い立ち、
元春からもう一曲「WILD HEARTS」
もちろんRCサクセションの「スローバラード」も外せず、
THE MODSの「ゴキゲンRADIO」
布袋さんの「RADIO!RADIO!RADIO!」
一風堂の「ラジオ・ファンタジー」
盟友チャボのズバリ「ラジオ」
吉川晃司の「YOU GOTTA CHANCE」なんかも入れたりして。

他にもありますよね?
「ラジオスターの悲劇」もね。
エージ&テツの「ラジオ・デイズ」も。
忘れやしない、元春の「アンジェリーナ」⇒トランジスタラジオでブガルー!

I get my radio corder“ON” tonight
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by POP_ID | 2009-05-21 14:35 | MUSIC | Trackback | Comments(2)
音楽を愛するということは。
音楽を愛するということは、
隣人を愛するということです。

ROCKを愛するということは、
敵と味方の区別をつけるということです。

そして真に良質なPOP MUSICは、
敵と味方の間に無条件に3分間の停戦時間を与えてくれます。

だからさ、
他のミュージシャンの音楽を認めることを、
「裏切り」だなんて言わないで欲しいね。
カルト信者じゃないならね。
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by POP_ID | 2009-05-12 01:30 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
106.
4月は106回も更新していた。
ブログ始めた005年以来の100超えは相対性理論やTHE MOLICE、
その他の新しいバンドたちへの純粋な興味が湧いてきたからだ。

SUPERCARやNUMBER GIRLが終わって、
久しく音楽への興味を失ってしまっていた。
どいつもこいつも「友情・愛情・純情」ばかりの異常な状況で、
春がくりゃ桜、つまんねーカバーアルバム、いつまでつけてんだよ
「暗闇ダークネス」的なタイトルに辟易ウンザリズムだった。

別に佐野元春だけを称える気なんかないんだ。
むしろ若いバンドにこそ、目の覚める音楽を期待したい。
旧世代にNO!のナイフを突きつけて欲しいから。

業界に余裕がないだけ、新進気鋭が出てきにくい世情。
それでも新世代には新世代だけのMY SPACEがあるはず。
大衆に迎合しないで、時代に立ち向かって欲しい。

音楽はただの売り物じゃないんだ。
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by POP_ID | 2009-05-01 00:54 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
つぶやき
音楽はいつだって想像と創造の醸し出す、よき騒音であって欲しいもの。
ロックを名乗るなら特にね。
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by POP_ID | 2009-04-28 14:11 | MUSIC | Trackback | Comments(0)
さらりと大きなネタを。
君が気高い孤独なら
は、現在自分にとって
21世紀で一番の曲だ。

なら

20世紀では?
って考えると
さすがに広いんだけど
しいて言うなら
いかれたBABY

かな

って思った



「個」を謳った歌と
「相手」を唄った歌のエベレスト

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by POP_ID | 2009-04-23 00:58 | MUSIC | Trackback | Comments(0)