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【忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ】
 【忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ】出演決定!
 『フジロックフェスティバル'09』

7/25(土)GREEN STAGEに、

【忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ
NICE MIDDLE with New Blue Day Horns】

が出演決定!

仲井戸“CHABO”麗市 / Leyona / Chara / 甲本ヒロト / 真島昌利 /
トータス松本 / UA / Char / WILKO JOHNSON & NORMAN WATT-ROY /
BOOKER T. / 泉谷しげる

鳥肌を通り越した衝撃のメンバー。
感動すぎる。
名前だけで、感動だ。
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by POP_ID | 2009-06-17 19:31 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
相対性理論は、22世紀型電脳集団かどうか?
楽しかった初ライブ。
振り返りながら書いてます。

いやーしかしさ、
持ち歌あんだけ少なくて、
よくま、あんだけトチったな。
幻想世界から実存界へ滑り落ちた逆アリス状態。
(PCなんかに頼るからいけないのさ!)

よかった。人で。
偶像崇拝興味ない。

ヘッドフォン、
今、音楽が清志郎に変わった。
リアルに激しい雨が降る夜に。
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by POP_ID | 2009-06-16 22:11 | '00sあたり | Trackback | Comments(6)
忌野清志郎/Oh!RADIO
クレジットを見てみる。

Co-director:栗原竜平
Data conversion & Restoration:高野寛

お!

高野さんの「泡の魔術」という曲での忌野さんのゲストボーカルは、
かなりゴキゲンなので、未聴の人は聴きましょう!!
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by POP_ID | 2009-06-16 14:23 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
キキキキンチョウカンカンマルエツ。(がんばれ相対性理論)
ライブレポをいくつか読む限り、
やくしまるえつこは
単純に緊張してたんだという結論。

ネックレスいじりも間を持てあましているというより、
緊張によるストレスの解放行為。

バンドのミスにもやられて、歌詞を何回か間違った(飛ばした、入りを間違えた)。
それを「間違っちゃった、エヘッ。」と舌出して笑うことが、理論的に許されないとしたら、
ずいぶん窮屈なバンドだなという感じ。
(演奏家たちは普通に笑ってたし、えつこが笑っても誰も損はしない。)
変に文化人が持ちあげてきて、やくしまるの神格化なんかが進まないことを祈る。
(そう言いつつ、俺も”巫女”なんて形容をしたわけだが、それはどうしても80'sの
”巫女”=>戸川純の追憶が頭をよぎってしまうせいだ。)

なぁ
まるえつ、
笑えばいいと 思うよ。
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by POP_ID | 2009-06-16 11:09 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
相対性理論。(やくしまるえつこ嬢)
彼女こそ、探し続けた猫町の少女、
ナンバーガール本人なのかも知れない。

彼女はその件について口を閉ざすだろうが、
あの風貌、あの空気、かなり怪しい。

君も猫町通りで後ろ姿を見かけたら、
追い抜いて確かめてみてほしい。

しかし逃げ足早いから、
そうそう追いつけはしないだろう。
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by POP_ID | 2009-06-15 08:33 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
相対性理論、初体感。(6.14恵比寿リキッドルーム「解析Ⅰ」)
あら!?真後ろでChocolat&Akito夫妻が。
同業者までもが注目する新進バンド。
ネットで話題だけど、まちろん周りに知る人はいない。

故・清志郎いわく、「音楽が話題になるんじゃなくて、数字が話題になるのはおかしい。」
そういう意味では、相対性理論の存在は心強い。

でもライブ見たら、ガッカリじゃ悲しい。
なんで観に行った。

<セットリスト>

MC「相対性理論 プレゼンツ」

1.四角革命
2.地獄先生
3.さわやか会社員

「左を向いているのが オーパーツ」

4.おはようオーパーツ
5.LOVEずっきゅん
6.
7.
8.ふしぎデカルト

「私はあなたの 101人目の花嫁」

9.テレ東
10.ルネサンス
11.

「生まれ変わったら 女の子になっちゃいました」

12.品川ナンバー
13.バーモント・キッス

「おやすみ」

(ノンアンコールが決まりです。)

合格。
俺的合格。
終盤ミスが続いたけど、基本、演奏は決まっていた。
PRO-POPとして聴けた。
別に歌詞の意味なんて期待してないし、「たま」で免疫は付いてる。
サブカル的と単純にくくっても構わないと思う。
ジャンル分けなんて評論家の仕事だから、俺はなんでもいいや。

歌いびと”巫女”=>やくしまるえつこ は、
スローロリスのように観客を見回し、普段は見せるであろう笑顔を封じた。
”ビックリハウス”お盛んな頃のような散文MCを挟みながら。
しかしあまりの群衆の数におびえて歌詞飛ばしという、
人間らしさを露呈するも、全く我関せずの真顔式アンドロイド。

未リリースの楽曲もクオリティ高く、次作への期待も維持しつつ、
「このライブ、また観たし!」と膝を高く打った。

片やROCKの新星、THE MOLICEのLIVEが同日にあるも、
「まぁ今回はこれでよし。」と納得の時間であった。

しかしステージセッティング&構成に難あり。
超満員札止め(何人入ったんだ?)の観客にまんべんなく見せるには、
スピーカーの配置が最悪。端の人がステージ半分見れない。
開場1時間前で、前座が2本。そのうち1つが「ピアノソロ演奏(歌なし)」とは貧血もの。
<事実、ぶっ倒れて担ぎ出された女性がいたそうです・・・。>
その昔ピチカートファイブであった、ライブ前DJ90分回しの悪夢が甦った。
(佐野元春の「アルマジロ日和」もひどかった・・・。)
あと特筆すべきがライティングの妙。照明演出超良かった。

実際のところ、かなり斜に構えて参加した今回、
もしもショボければケチョンケチョンに書いてやろうと、息巻いて来たのだが、
あっさりと理論MAGICに囚われて、軍門に下ってしまった・・・。
心のハードル、ガン上げしてたのになぁ。。。

やるな相対性理論、これはPOP-ID通信。必然のレコメンドとなりました。
ま、ナウなヤングには遅れを取ったが、この段階で聴けたのは大きい。
これからの展開が今と比較できるから。

グッズ販売=やくしまる画のTシャツ数種類。買いませんでした。


気になった文献
http://d.hatena.ne.jp/post-it/20090415
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by POP_ID | 2009-06-15 01:38 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
三沢光晴、急逝。
ここは音楽ブログですが、ライブという意味では、同じです。
プロレスは肉体芸術。
鍛えし者のみに許された職業。
八百長と言うはたやすいが、じゃぁお前、ブレンバスター受けられますか?
という単純な話。

そして死と隣り合わせの戦いであります。
観客を感動させるためにギリギリの技の攻防を行っている。
アメリカのプロレスとはかなり違うスタイルなのが悲劇を生みました。
でもレスラーたちは「覚悟」をして試合をしているのだと思う。
F1レーサーのように。

馬場さんと写った2ショット写真は僕の宝物です。
選挙なんて行かなかった僕も猪木さんには入れました。
J鶴田さんの病魔との闘いと早すぎる死には胸を痛めました。

三沢さん。40代なのに。
武道館の試合、今でも覚えています。
Jエースとの三冠戦は最高でした。

ミーサーワッ!
ミーサーワッ!
ミーサーワッ!
ミーサーワッ!
ミーサーワッ!
ミーサーワッ!

一晩中叫べば帰ってくるのなら・・・・

ノア、明日の試合はどうするの?
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by POP_ID | 2009-06-14 00:41 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
「新しい人は新しい音楽をする」
武久 源造 著

清志郎という稀代のミュージシャンの死を受けて、
今一度、この本をプッシュしておきたい。

>表現者として表現の自由を貫くということは、何かに守ってもらうことを放棄することであり、
明日はどうなるか分からない生活に身を委ねることを意味する。
自分を励ましつつ、今日もまた新たな音を紡ぎ出そうと楽器に向かう。
理由もなく希望がわいてくる。そんな自分の楽天性に苦笑いを噛みしめつつ。

>芸術を行うこと、それは「人間の心」を受け止めて表現することだ。そのとき、
私が音楽をしていると言うより、音楽が私を生み出している、音楽が私を作っていると
感じられる状態になる。
歌うこと、遊ぶこと、創造すること、愛すること。これらは皆一つの営みなのだ。

>今の音楽産業はいわばファミリーレストラン化している。

>バロック時代に最も好まれた表現上のテーマは対立概念のせめぎあいであった。
大きなものと小さなもの、崇高なものと醜悪なもの、キリストと反キリスト・・・。

>バロックの美学とは、相矛盾するあらゆるものを同時進行のうちに感じとり、生と死が
実は隣りあって存在していることを<美しい>と感じるデュオニソス的感性であった。

>確かにコンサートはそのある意味で宗教的儀式に似ている。この意味では、舞台上の
司式者である演奏家は、音楽作品と聴衆への無慈悲的愛によっていわば蒸発し音楽体験
だけがそこにある、という状態がコンサートの理想であるはずだ。
しかしそれは容易に達成されない。

>偏在的波動であるである音楽と合一することで、人は自分のいる場所を忘れ、
空間を忘れ、一瞬、自分自身であることも忘れる。それは臨死体験とも言える状態である。
しかし人は「死の匂い」を嗅ぎつつ行きられるほど強くはなれない。
反対に人は、自らの体の命運を超えることを欲し、永続性の証しとなるものを絶えず生み出
そうとしてきた。人間の煩悩のゆえ、音楽もまた不死の記号となり下がってしまうのだ。
さて、そうなると演奏会場はどうなってしまうのだろうか。そこもまた我らが人生同様、
相矛盾する欲求の、真実と虚偽の戦場となるのである。このため今日、演奏の場で
真の感動、すなわち良きマナが降り注ぐことは、残念ながら稀と言わねばならない。

(金言だらけで、紹介しきれない。一部省略して掲載しています。太字はPOP-IDにて。)

ファミレスには真に良質なお料理は期待できない。
クレームをつけようにも本当の作り手は現場にはいない。
現場の作り手は個の才能を発揮できない。
効率主義、能率主義、商業主義。

コンサートはいわば「ファッショ・ショー」
音楽の本質はそこにはない。
コンサートに「音楽」が存在してたのは、70年代が最後なのかもしれない。
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by POP_ID | 2009-06-13 15:47 | MUSIC | Comments(0)
改めて沢田研二の偉業を称えたい。
60歳、6.5時間、80曲暗唱。超人バロムワンかっつーの!
沢田研二・東京ドームライヴ
衰えぬ美声、窮状の感性。
国宝シンガー、ジュリーはもっともっと「今」評価されていい。
死んでからじゃなくて・・・
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by POP_ID | 2009-06-13 03:32 | '00sあたり | Trackback | Comments(0)
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by POP_ID | 2009-06-13 02:08 | Trackback | Comments(0)