15才。
中学生のすっとこどっこいなプライド。
詩を書き始めた頃。
お手本になったのは清志郎とイルカ。
チンペイさんに甲斐さん。
俺、毒蠍
今、お前を殺しにいくのさ
そんな詩も書いたなぁ
さておき、
俺は全校生徒の中で初めて、
アーチストTシャツを着始めた。
それは、
「PLEASE」のジャケT(白地・モノクロプリント)
(後に「BLUE」のジャケT(白地・カラープリント)、
「BEAT POPS」(黒地・ホワイトプリント)も加わった)
”お前らとは違うんだよ”という
いかにも中坊らしい主張。
俺は誰にもRCを勧めなかったし、聴かせもしなかった。
ツッパリ連中のことは軽蔑していたし、(ダサいから)
優等生のいい子ちゃんたちも勝手にしてろと思ってた。(ダサいから)
1人唯我独尊状態が続いた後、
「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒットして、
<オリコン週間シングルチャート第1位 1982年4月5日付>
誰もが忌野清志郎を知り、ようやく声を掛けられた。
「RCってメンバーがネクタイで繋がって出てくるんだよね?」
「・・・・・・・・・・・・。いや・・。」
めんどくさくなった・・・。
(そりゃなんかの※シングルの(忘れた)歌詞書いてるとこの上に
あった写真の話だろうが!!)
※「雨あがり」だったっけ?「ボス」だったっけ?
圧倒的に浮いていた俺。
それでも「ザマーミロ!!」と思ってた。
もう見当たらない古いTシャツ。
もしかしたら田舎のタンスの引き出しに残っていたりして?
POP-IDがちょくちょくとっても嫌な奴になるのは、
ここら辺がルーツなので、治りません。
悪いけどよ。「性(さが)」だ。
「性(さが)」バーイ ツイスト。