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鹿野。
スーパーカーのラスト・ライヴに行って来た。

 会場は東京一のビッグ・クラブ、STUDIO COAST。土曜なので夜中はクラブ営業がある。だからスーパーカーのライヴは17時開演予定となった。まだ陽が高い間に続々とクラブに人が引き込まれて行くのは、深夜に頻繁に踊りに行く身としては奇妙な光景だったが、何よりとても多くの人達が「チケットを譲ってください」というボードを持って立ち尽くしていたのが印象的だった。ダフ屋もいたが、どうやらチケットを持ってないようで、執拗に「売ってくれ、高く買うから」と話しかけて来た。本当にたくさんの人達がチケットを求めて会場前に集まっていた。その人波をかいくぐって会場にたどり着いた時、この日のこの場所がマボロシのようなものに思えた。

 とまさにここまで書いたところでホームページにメールが届いた。どうやら17時30分頃――――つまり開演直後に当日券が売り出されたらしい。あのチケットを求める人波のオーラの強さを思うに、本当に良かったなあと思う。

 受付でご挨拶をすると1枚のカードが渡された。メンバー全員の手書きのサインが書かれているセット・リストだった。たまらないなあ、この挨拶は。

 17時20分頃だろうか、会場が暗くなりステージのバックに「THANK YOU SUPERCAR」という書き文字のようなスペルがレーザー光線で描かれた。そしてメンバーが現れた。終わりに向けられたライヴが始まった。
 解散ライヴというのはとてもセンチメンタルなものだが、解散の後の自分の明日を見詰めているメンバーがいる場合も多いし、「先」がない気持ちの中でバンドが演奏するのはとても難しい。勿論、メンバーはその独特な雰囲気と最後という気持ちの中で特別なライヴを送るのだが、その中でさえもバンドが素晴らしいライヴを行うのはとても難しい。
 僕はロック・バンドの解散ライヴはオーディエンスが空気を決めるものだと思っている。今日もオーディエンスが素晴らし過ぎるほど素晴らしかった。スーパーカーがここまで描いて来た煌めきを、オーディエンス達が眩しいほどフロアから放っていた。1曲1曲、イントロが鳴った時点で反応する――――“FAIRWAY”では高く高く右手を掲げ、“RECREATION”では横に揺れて大きな波を描き、“YUMEGIWA LAST BOY”ではフロアが一頭の大きなクジラのようにくねっていた。こういうリスナーを生んで来た事自体が、スーパーカーの財産だと感じた。とても温かく昂揚した熱が、フロアからステージに寄せられていた。
 ステージには宇川直宏のビジョンはなく、緑のみならず青や赤のレーザー光線とSTUDIO COAST名物のバカでかいミラーボールが織り成す光のシャワーが演出を担っていた。“My Way”でサイダーのようにジュワーっと無重力に歪んだ淳治くんのギターに、重力はあるのに徹底的にカシャカシャ乾いたナカコーのギターが絡んだ。「夏」のような淳治のギターと「冬」のようなナカコーのギターの絡む瞬間、スパークするってこういうことなんだなという気持ちにさせられる。この青臭い摩擦のような絡み合いも最後だと思うと、どうか鳴り止まないでくれと祈りながら聴き入ってしまう。
 まさにベストヒット集な選曲も良かったが、何より曲順が切なくて堪らなかった。勿論、ここまで情緒的な曲順でスーパーカーがライヴをやるのは初めてだったと思う。特に、最後の“STORY WRITER”から“Karma”というスーパーカーのロマンと実験が一番美しく合わさった楽曲を経て“TRIP SKY”へ辿り着いた時、壮大な終わりが鳴り響いた感じがしたのは決して僕だけじゃなかったと思う。この『スリーアウトチェンジ』のオーラスの曲の最後のセンテンスは、「描いた夢のまま静かに浮かんで また消えていくのさ すさんだ世界の向こうへと 浮かんでまた消えていくのさ」だ。この言葉を残して、スーパーカーは消えていった。
さっきも書いたが、解散ライヴなものでそんなに素晴らしい化学反応が鳴ったライヴではなかった。僕はアルバム『ANSWER』のツアーが最高にカッコ良くて大好きだった。それは僕には全くと言っていいほどバンド臭がしなくて乾ききった植物のように聴こえた『ANSWER』というアルバムを引っさげたツアーで、彼らは全く新しいバンド・ロックを鳴らす「始まり」を響かせたからだった。あのAORのような楽曲にアナ―キーなグルーヴと煌く青春性が降り注ぐ、スーパーカーがスーパーカーとして疾駆する最高のライヴを披露したからだ。さすがだなあと。やはりこのバンドはとことんバンドなんだなあと。バンドとして煌いているなあと、心が躍るライヴだった。

 以前、たしかあれは『HIGH VISION』の頃だったと思う。僕は彼らのライヴのゲネプロ・スタジオに1日一緒にいたことがある。とても奇妙な1日だったことを覚えている。
 何しろ練習しないのだ。バンドで音を合わせないのだ。その日は偶然、くるりが一つ下のフロアで練習していて、少しばかりそこにも遊びに行ったのだが、そこはまさに「戦場」だった。ひたすらセッションセッション。まだ3人だった頃のくるりは岸田の鼓舞するような、罵るような激しいテンションの中で音が途切れることなくグルーヴも高みに登り詰めていったが、片やスーパーカーのスタジオは「ぷぉ~」とか「ぴゅっっぴゅん」とか「しゃらーん」とか、ドラムンベースのリズムとか「ズジャラララ~ン!」というギターとかが時折鳴っては途絶えるだけだった。何なんだこりゃ?と最初は戸惑って何処にいたらいいのかわからなかったが。わからない僕に時折淳治くんが「居心地悪いでしょ?」と気を遣いながら話し掛けてくれるが。というより、これ、スタジオ代、もったいないんじゃないか? 僕に焼肉奢ったほうがいいんじゃないか? と余計なお世話を考えたが。でもその雰囲気のままスタジオは約5時間の時が過ぎた。
 5時間過ぎた頃、その「ぴゅ~ん」とか「ズジャーン」とか「ズドン」とかが絡み合った。気分で弾いていたり、音やシステムを確かめるようにシンセとサンプリングを鳴らしていたナカコーの音が、“YUMEGIWA LAST BOY”のイントロを鳴らした。するとみんなの音が重なり、結果的に「随分とイントロの長い」ユメギワが始まったのだった。そしてその1曲が終わるとまた「ぷぉーん」が始まり、時折何かのきっかけでまた曲が始まった。なんか渡り鳥みたいだった。基本的にバラバラで生きているのだが、どいつかの微かなサインでみんなが群れて、またバラバラになる。僕はその時のスーパーカーにとてもバンドを感じた。あれでいいのだという確信。誰かのサインを必ずキャッチするメンバー。何回かしか合わせないセッションで、仕上げていく関係。そのすべてがちょっとばかし眩しかった。ロック・バンドのマジックといい空気をたんまり吸わせてもらった。
 
 多くのバンドが解散したが、個人的にスーパーカーの解散はこの5年間の中で最も残念で切なくて受け入れられないこととなった。燃え尽きるにはまだ鳴らしていないものがある気がするし、ミッシェル・ガン・エレファントやザ・イエロー・モンキーへのように「ロックンロールと名曲をありがとう、楽しかった」と笑顔で言えないのだ。
 誤解を恐れずに書けば、僕はスーパーカーの「音楽」以上にスーパーカーという「バンド」が好きだったからだと思う。
 好きな曲はたくさんあるし、“cream soda”と“WARNING BELL”の間にある変わらない何かもわかっているつもりだが、でも何より僕はこの4人がバンドとして活動して音を鳴らしていることがとても素敵なことだと思っていた。どんなポップな曲でも、どんな実験的な曲でも、スーパーカーは4人が交じり合って鳴らして歌う「煌き」がその音楽を形成していたからだ。そんなのロック・バンドとして当たり前だろと思うかもしれないが、それはイメージや理想としての当たり前であって、実際にはそんな素敵な奇跡の結晶のようなバンドは数えるほどしかいないのだ。
 ロック・バンドはいい曲を作ることだけが表現や仕事ではないと僕は思っている。ロック・バンドは憧れだ。恋焦がれるようなカッコ良さのカタマリだ。スーパーカーはそんなロック・バンドの代表だった。どうしても煌いてしまうロック、青春が終わらないバンドシップ。音楽が難解になっても、考え方が変化しても、スーパーカーは僕にはバンドの理想像だったし、その煌きが彼らのすべてをポップに輝かせていた。
 スーパーカーは何も終わっちゃいなかったし、絶対に煮詰まってはいなかったと思う。『ANSWER』というアルバムはロック・バンドとしての彼らの新しい挑戦であったと思うし、その進化はツアーから確実に始まっていた。『ANSWER』というアルバムから僕はバンドを感じなかったが、そのツアーは『ANSWER』を従えたバンドが、「これから」を見せていた。相変わらず素敵なバンドだったし、ロック・バンドとしての煌きは全く失せることがなかった。
 しかし終わってしまった。彼らが僕らに届けてくれていたものは何一つ終わりがなかったし、バンドとしての煌きも失せることも変わることもなかった。なのにバンドが終わってしまう。だからスーパーカーの解散はやりきれない。

 ライヴはアンコールもMCも一切なく終わった。先ほど書いたように何らかの覚醒があったわけではないが、名曲と4人という僕らにとっての宝物だけがフロアに降り注がれるいいライヴだった。勿論、アンコールを求める拍手は鳴り止まなかった。5分ほどした頃だろうか、フロアの後ろから「もう一曲だけやてくれっ!」という男性の叫びが響いた。ちょっと力を失いかけた拍手がもう一度大喝采に変わった。しかしスーパーカーは出てこなかった。
 多分、みんなわかっていたと思う。彼らは出てこないだろうと。その一声だけで出てくるバンドじゃない、それも自分達がこのバンドを好きな理由の一つだった筈だと。だからステージの後ろや会場の外に掲示された「THANK YOU SUPERCAR」というぶっきらぼうなほどシンプルなメッセージから、すべてが読み取れるのだと。

 何曲やっても多くを語っても発せられない煌きがある。何も語らず、答えを出さずに鳴らされる曲であっても発する煌きがある。スーパーカーは煌くロック・バンドだった。煌きが消えないだけに、とても解散が残念で切ないロック・バンドだった。
by POP_ID | 2005-03-01 17:06 | SUPERCAR
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